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野菊の如き…

■リンドウと野菊

昔,昔,その昔,「まだあげ初めし前髪の」年頃の文学少女がおりました。

胸に秘めた想いを言葉にすることもできない乙女は,憧れの君にそっと一輪のリンドウを手渡しました。返礼に野菊を期待して…。

しかし,…,紅顔の美少年は秀才ではありましたが文学には馴染みはありませんでした。少女の淡い初恋は儚くも消え去ったのです。

なぜに「リンドウ」で,なぜに「野菊」なのか,お分かりにならない人はこのページの一番下の「参考資料」をご覧下さい。(^^)

私が伊藤左千夫の代表作『野菊の墓』を知ったのは中学生の多感なお年頃。しかし,その前に,小学の5〜6年生の時に『野菊の墓』の映画版『野菊の如き君なりき』を観たことがありました。髪の毛とともに記憶も薄れていく今日この頃だが,思い起こすにあれば学校主催の映画鑑賞会であったと思います。映画館で観たのか学校の講堂で観たのか定かではありませんが。

そのころはまだまだ思春期も向かえておらず,「なんか可哀想な話」ほどの感想しかなかったような気がします。

私が本を読んで初めて泣いたのは『フランダースの犬』を読んだ小学4年生の時です。なぜ少年ネロと愛犬パトラッシュが死なねばならないのか,どうしても理解できませんでした。そのころ「理不尽」という言葉は知りませんでしたが,そういう気持ちでいたように思います。私は当時絵を描くのが大好きだったこと,そして決して裕福ではない家に生まれ欲しい物もなかなか買ってもらえなかった境遇であったこと,これらのためにネロ少年と自分自身を同一化してしまったことも涙の一因だったのでしょう。

その後,読書の対象は「シートン動物記」などの動物ものに移りましたが,中学生になってから文学書を読むようになりました。もっとも,学校の図書館,市の図書館分館にある本に限られましたが。

そういう時に出会ったのが,『野菊の墓』です。「人を恋する」ということがどういうことなのか分かり始めた多感な年頃だったので涙が止まらず仕方ありませんでした。

おそらく,私の人生において本を読んで涙したのはこの2回限りでしょう。それ以降,テレビでたまにこの映画が放送されるたびに観ているような気がする。


■民子の野菊

話は変わりますが,

2004年の6月から花の同定に興味を抱き勉強中です。7月に野菊の仲間を撮影したが,野菊の類は同定初心者には歯が立たないところがありますので,「その内に」ということにして画像だけ保存しておきました。その年の8月になって2回,別々の山域で野菊の仲間に出会いました。さすがにそろそろ野菊も勉強しないといけないと思い,ネット検索したり花に詳しい人のサイトを訪れもし,掲示板に書き込みもさせてもらいながら,いろいろ学ばせていただきました。

野菊を調べているうちに,「そういえば『野菊の墓』の野菊は何だったんだろう?」という疑問がふと湧いてきました。

こういうことに詳しい人がいるかも知れないと思い,ある掲示板で,『「野菊の墓」で民子が欲しがった野菊とは何でしょうか』と尋ねて見ました。しかし,反応は皆無でした。

こうなれば,自力で調べるしかありません。

まずは,『野菊の墓』の読み直しから始まり,百科事典,ネット検索へと移りました。インターネットの情報に期待しましたが駄目でした。告白すると,長年インターネットを積極利用している割には私はネット検索が下手です。入力するキーワードの組み合わせが悪いのか,うまく目的を達することができないことがよくあります。さらに,あまりにも多くのページがヒットすると,最初のほうだけ見て終わってしまうこともよくあります。気力の問題かもしれませんが。(^^ゞ

次に,考えたのは,自分で野菊の仲間を勉強して絞込みができないだろうか,ということでした。

『野菊の墓』の舞台はどこでしょう。迂闊にも知りませんでした。そこで,『野菊の墓』そのものをネット検索すると,

「矢切の渡し」で有名な「矢切村」です。現在の千葉県松戸市のようです。

「関東か…。関東の花にはまるで縁がないな」と思いながらも,図鑑とネット検索を頼りに調べるしかありません。

たまたま四国の花を掲載している高知県の人のサイトを観ていたら,「『野菊の墓』の野菊はノコンギクらしい」というコメントが目に入りました。「やった!」と大喜び。

早速,ノコンギクを調べます。

「ショック!」

ノコンギクの花色(淡青紫色)は私が想像していたイメージには合いません。つまり,「野菊の如き君なりき」の民子のイメージに合わないのです。

小説の一節にこうあります。

「真(まこと)に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが,決して粗野ではなかった。可憐(かれん)で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいう所は爪の垢(あか)ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。」

私の感性はこの描写から白色をイメージさせました。青紫色は受け入れがたい色です。私にとって民子を喩えるとしたら“清楚”な白色の野菊です。それ以外は似合いません。

これが8月の末のことでした。

小説の中に野菊の花期と生育環境のヒントとなる描写があります。

◎描写(1):
「陰暦の九月十三日,今夜が豆の月だという日の朝,露霜が降りたと思うほどつめたい。その代り天気はきらきらしている。十五日がこの村の祭で明日は宵祭という訣故(わけゆえ),…。民子は僕を手伝いとして山畑の棉(わた)を採ってくることになった。」

◎描写(2)
「村はずれの坂の降口(おりぐち)の大きな銀杏(いちょう)の樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの田圃(たんぼ)がある。色よく黄ばんだ晩稲(おくて)に露をおんで,シットリと打伏した光景は,気のせいか殊に清々(すがすが)しく,胸のすくような眺めである。民子はいつの間にか来ていて,昨日の雨で洗い流した赤土の上に,二葉三葉銀杏の葉の落ちるのを拾っている。」

「陰暦の九月十三日」はおそらく10月の下旬ぐらいでしょう。そして「銀杏の葉の落ちる」頃と重なります。野菊の花期にこの頃が含まれるため,これが第1条件です。

次の描写を見てみましょう。

◎描写(3)
「道の真中は乾いているが,両側の田についている所は,露にしとしとに濡れて,いろいろの草が花を開いてる。タウコギは末枯れて,水蕎麦蓼など一番多く繁っている。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。」

この描写から,二人は両側に田んぼが広がっている畦道や今風に言うと農道のようなところを歩いていることが分かります。その道の両端にいろいろな花が咲いている様子がうかがえます。つまり,両端は田んぼに続いている環境なのです。

「タウコギ?」

聞いたことがありません。ネットで検索してみました。花期は8〜10月。合致します。

「水田の畦や湿地に見られるキク科の一年草。高さ0.3-1.5メートルになる。昔は田んぼのやっかいな雑草としてはびこっていた。」

「湿ったところ」「田んぼのやっかいな雑草」

これは特定につながる有力な情報です。

「水蕎麦蓼」

これは今で言うミゾソバ(溝蕎麦)のことでしょうか。そうであれば,やはり秋の花で「湿ったところ」を好みますね。

「都草も黄色く花が見える。」が分かりません。都草は春から初夏の花です。今までに出てきた花と花期が矛盾します。

「う〜〜〜ん。」困りました。

初夏の花がいくらなんでも10月に咲き残っていることはないでしょう。この花だけ矛盾するということは,もしかしたら別種の別名かも知れません。あるいはその地方だけで通じる名前かも知れません。

さらに都草について調べると,

「わが国の山野に自生。昔,京都に多く見られたという」

とあります。「ああ,それで「都」なのか」と一人で合点です。それならば,もしかすると,やはり関東の都草とは別種かも知れない可能性があります。

「ほんとに政夫さんの御厄介ですね……そんなにだだを言っては済まないから,ここで待ちましょう。あらア野葡萄(えびづる)があった」

という件(くだり)があります。

図鑑によれば,野葡萄は食用にならないが,「えびずる」は食用になるそうです。

実際,この後,民子は野葡萄を食べるのです。その「えびずる」に対して「野葡萄」という漢字を当てているのです。別種です。同じことが他の花名で起こっているかも知れません。

これらのことからこの都草も正体は不明ですが標準名の都草とは別種と考えましょう。そう考えないと花期が半年もずれてしまいます。

あらためて,二人が歩いている風景を想像してみると,昔,日本のどこにでもあった里山の風景そのものです。日本が工業国先進国になる前に存在した原風景です。


■3種類の野菊

さて,これらの条件から野菊の種類を絞り込みましょう。

前述したインターネット上の「ノコンギクらしい」というのは,否定できるのではないでしょうか。なぜならば,ノコンギクは日当たりのよい乾燥した場所を好むそうだからです。

「湿ったところ」に咲く野菊となると,関東嫁菜(カントウヨメナ)でしょうか。花の色は薄紫と書かれていますが,ほとんど白に近いものが多いようです。純白でなくても,これなら私の抱いていたイメージに近い感じです。

ここでもう1つ可能性のある野菊があるのが分かりました。インターネットで検索しているときに次のページがヒットしました。

http://www.intership.ne.jp/~m.kankou/page/3_yagiri.htm

平成14年に「野菊の墓」の文学碑左側にカントウヨメナ,ノコンギク,ユウガギクが植えられ,右側にはリンドウの苗が植裁された,とあります。

「ユウガギク」初めて耳にする花です。

特徴をまとめると,「山野の日当たりのよいやや湿った草地や道端に生え,花色は普通は白色だが,わずかに淡紫色を帯びるものもある。花期は7〜10月」となります。ある図鑑には田の畦に群落しているユウガギクの写真が載っています。

「これだ!」と私は確信しました。生育環境は小説の描写と合致します。花色もカントウヨメナよりもさらに---私が勝手に抱いているのですが---民子のイメージに合います。

松戸市の文学碑に3種類の野菊を植えたということは,1つに特定できないために可能性の高い3種類を選んだ結果だろうと推測できます。

そのことは十分踏まえた上で,民子が欲しがった野菊は「ユウガギク」の可能性が高いと私は結論を下したいと思います。(この結論に達するまでに膨大な時間を費やしましたが,ほとんど自己満足の世界です(^^ゞ)

 

◎お願い

『ユウガギク』の画像をどなたかプレゼントしていただけないでしょうか。このページに貼りたいのですが,四国では手に入りません。よろしくお願い致します。m(__)m

参 考 資 料

●『野菊の墓』より引用(1):

「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊,政夫さん,私に半分おくれッたら,私ほんとうに野菊が好き」

「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」

「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好(この)もしいの。どうしてこんなかと,自分でも思う位」

「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」

●『野菊の墓』より引用(2):

「こんな美しい花,いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」

花好きな民子は例の癖で,色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか,ひとりでにこにこ笑いだした。

「民さん,なんです,そんなにひとりで笑って」

「政夫さんはりんどうの様な人だ」

「どうして」

「さアどうしてということはないけど,政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」

飾りライン

 

 
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